Appriciative Inquiry

先日、気になってInstapaperに残しておいた記事、What is Appriciative Inquiry?を読んで。

Taking all of these together as a gestalt, AI deliberately, in everything it does, seeks to work from accounts of this “positive change core”

つまり、

これら全てを一緒に「形」として捉え、塾考することこそが、「ポジティブなチェンジコア」からAIを実行することとなるのです。
(かなり怪しい意訳で、意図を汲み違えている可能性がありますm(_ _)m)

この文から僕が受け取ったものは、己の長ずるコアを識るには、考え抜いた言の葉に其れを載せ、カタチとすることが途である、という意味。

普段、何気なく過ごしていると、自分が実はどうしたいのか?といった問いに即答するのは、なかなかに難しいと思う。とはいえ、何も答を持っていないかといえば、そんなことは無いのが一般的であろう。つまり、コトバに載せられていないだけで、想いは常に自分の中にある筈だ。ソシュールの提唱した、シニフィアンシニフィエを考えてみるとどうしたらいいか少し解ると思う。Wikipediaによると、

シニフィアンはフランス語の動詞 signifier(意味する)の現在分詞で「意味しているもの」「表しているもの」を指す。日本語ではシニフィアンを「記号表現」「能記」など、シニフィエを「記号内容」「所記」などと訳すこともある。

とある。Wikipediaの絵を見てもらうのがいいが、シニフィアンが単語、シニフィエが概念、とも言える(かなり乱暴な例示なのはご容赦)。自分のコアを認識するには、それが何であるかを考え抜いて、自分が納得できる言葉で表現する。自分の中にある概念を単語に乗せる。上手い表現に出会うまでには、時間がかかる筈。たがその時間が、そのプロセスを踏むことが必要だと思う。

更に詳しいAIの話がこちらにあるようだ(読んでないけど^^;)。