生の徒

老子bot曰く「生に出でゝ死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒も十に三有り。(老子道徳経下篇第五十章)」ということで、''生の徒''と''死の徒''が気になった。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1278.html

によると、

いまでもこのときに買ったシャンバラ社のジョン・ウーによる英訳『老子』が手元にある。
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老子は、その柔弱の根本は「生の徒」(the company of the living)であるゆえのものだというのである。

とある、company ofは英辞郎によると「〜との付き合い」だと。つまり、「人は生まれ死んで行く。生きることも死ぬことも3/10の付き合いだね」(なんかよく分かんないね)ということか。上手く言語化できないなぁ。

十のうち、生が三、死が三なのであれば、残りは四。生きること、死ぬこといずれも等価であれば、いずれも同じように程々に付き合って、いずれが善悪なのではなく、いずれが良否なのではなく、いずれが正邪なのではない、ということだろうか。

老子の第一章は「未知の道とすべしは、常の道にあらず(道可道、非常道)」で始まるのだが、その意味は、道は決まったものではなく、常に変化するもの、というようなことだったと思う(正確には自信なし)。ってことは、生きることも同じく捉えよ、ということか?