関心と無関心

先日ちらりとTwitterには書いた、対話するには関心が必要である、と。関心の無い場合、そもそも対話に発展しない訳だが、それ故、対話するには関心が必要である。つまり、無関心であれば対話しない。
翻って、対話が成立していないことは無関心なのだろうか?
これは(一筋の誤りもなく云えるわけではないが)YESだと考えている。無関心な場合、対話に持ち込む必然性を感じないのは、少し考えてみれば自明だろう。つまり、ここには双対性を感じるわけで(論理的帰結となるまでは思考していないので「感じる」程度)、無関心が故に行動が伴わない←→行動が無関心を示す、ということが言えそう。
という訳で、少なくとも自分は周りに関心を以て行動し、その行動が関心を示すようにしていこう、と思う(決めた?)。