翻訳力

技術者のみならず、誰でも他人に何かを説明する機会は頻繁にあります。アカウンタリビティ(説明責任)という言葉が流行って久しいですが、些細なことから大層な事まで、世の全ての人々は何らかの説明責任を負っていると云っても過言ではないでしょう。
よく言われるのは技術者や研究者など、理系の人たちは説明ができない、下手だ、という意見です。実際、その通りだと思います。過去を振り返ってみれば、自分も相当酷いですから。(^^; 今でも充分だとは思いませんけれど。
ではどうするか? 相手の立場になってものを考えなさい、とよく言われます。但し、相手は他人ですから、意識として異文化交流する位の気構えでもって説明を行なうと、齟齬も少ないと思います。それをうまく言い表しているな、と思うのは、この記事「翻訳力をつけよう」です。翻訳という言葉に「異文化交流」「説明責任」の双方を込めていると思います。
まぁ、相手の立場に立ったからといって、いきなりちゃと伝わるか? といえば、そんなことも無いのですが。同じものを見ても、同じ感想を抱くという訳ではありませんから。そんな時は、すぐにその「違い」を当人との間で解消するべく、更に話し合うしかない、つまり、全てを予見できる訳ではないのだから、フォローでちゃんとせい、が正解のようです。(セミナー講師談;これは余談^^;)