「泰然自若」を考えてみた

漢字好きなんです。単に。


不惑の歳を迎えたときに「とうてい惑わずなんて無理っ」と思って考えたこと。

「惑うことを惑わず」


人は迷うものです。だから、それでいいのだ、と。惑わずが「できてない」と思うより、それを認めて、迷っていいんだと腑に落とすことで不惑を解釈しなおした、というわけ。


今回、もう一歩踏み込んでみたのは、それでも迷い続けることは、ときにはしんどいこともあって、不惑の思想を貫くことは容易ではない、と感じたから。


そこで思い浮かんだのが「泰然自若」。
とはいえ、「落ち着きはらって物事に動じない様」なんてのは無理じゃ。

http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ta/yoji_ta_1.html

では、それぞれ掘り下げてみてはどうだろうか。
上記のページには、各々の文字の意味が記載されている。引用をさせていただくと、ざっくり以下のとおり。

  • 泰:おおらかでゆったり
  • 然:肯定・承認
  • 自:おのずから・自然に
  • 若:したがう、〜のごとし

このページに「自若」の意味について、更に次のように書いてある。

自らにしたがうならば、他に惑う事はない。

なるほど、と思った。


では泰然を再解釈してみる。

僕としては「然」は2)の「ある状態にある」がしっくり来る。「自然」「天然」いずれも「そのまま」と解釈もできる。語順を無視して「泰然自若」の「不惑」を勝手解釈すると、


自らにしたがえば、他には惑わず。それが自然であり、そう受け入れればやすらか足り得る。


もう少し勝手解釈しなおすと、堂々めぐりになっているが、腑に落ちた。


自らにしたがうことで惑いは晴れる。それでも人は惑うもの。惑うことを恐れず、惑いつつ生きれば、それが自然。惑いで暗澹たる気持ちになるときは、自らにしたがえ。



だから、漢字は好きだ。