主観と客観と

しばらく前に下書きして、何か直そうと思っていたのだけど、どう直そうと思ったのか全く憶えていない。(^^;
facebookRSS Graffitiを入れて、このはてながフィードされるようにしてみたので、テストも兼ねてこの練りの足りない文章をさらけ出してしまおうというわけ。

そういえば、先日友人と話していて、この客観の質問をしたら、久しぶりに「ある程度は主観が入り込んだもの」という意見をもらった。なかなかその意見には出会えないだけに、貴重な友人を得たと感じた瞬間である。時と場と、そして仲立ちしてくれた最高の人に感謝。



以前、d:id:tashin:20100131にて

客観は主観のフィルターを通した主観的客観である、という哲学的命題(?)が気になることになった。

と書いていたのだが、最近知り得たところで、新たな発見があったので書いておく。ま、当たり前のことだし、知っているよ、という人にとっては何てこと無い。


まずは定義から考えてみる。Weblioで引く「客観的である」ということは「個々の主観の恣意(しい)を離れて、普遍妥当性をもっているさま。」とある。つまりは、主観という偏ったものの見方から離れて、誰が見ても「そう思える」ことを示す。

だがしかし、この「普遍妥当性」が曲者だと思う。何故かというと、余程なにかの共通性を持ったことに理由を求めて、その上で主張されるものだ、ということ。では、僕らが発言することのうち、どれだけが充分な共通性を以て理由付けをして語られるのだろうか?


僕も含めて人間というものは、自分が知っている世界だけで生きている。その知っている世界の広さはみんな様々だけど、他人の頭の中を覗けない以上、自分が知っている世界しかあり得ない。だからこそ、いろいろな人の意見を聞き、本を読み、他人の頭の中を少しでも覗こうとする。では、それによって得たものは何か?受け取ったものは「自分」というフィルターを通して理解されて、自分の中に蓄積される。それが知識であり経験であろう、と。「腑に落ちた」という言葉があるが、これは自分の中に取り込めた=自分というフィルターを通して取り込んだ、という解釈が可能。

で、あれば、客観は主観のフィルターを通した主観的客観、という言葉も、それほど違和感のあるようなものではないだろう、と、これまた主観的に思うわけ。


では、普遍妥当性はどのように満たされる条件なのか?


ひとつには、例えば数学のように現実世界に存在する物事を「公理」として定義した上で、数式という「共通言語」で語られるものは、普遍妥当性を満たしているだろう。
万有引力の法則に支配される三次元の世界で時と共に在るのだから、そりゃ公理を疑うのは損だ。


すると、数式のように記述できない自然言語による普遍妥当性って何?、と思ってしまう僕が居る。

昔のことだが、上司に「人の立場に立って考えな」と言われたとき、その時の僕らとしては最大限「立場を変えて」考えた結論を述べていた。そのとき思ったのは「あなたには成れないよ」ということ。「あなた」の立場に立って考えることはできるが、それによって得た結論が「あなたの考え」と違うからと言って、人の立場に立っていないというのは何かおかしい、と。


では、人の立場には立てるが不十分である、というのはどういうことか?


ちょっと前に、友人と会話していてガツンと来る指摘を受けた。そのときの僕は、不十分な多面的価値観の下に「他人の立場に立って」結論を出していた、ということが解ったから。当時の僕は、きっと、ひどく稚拙な結論を述べていたことだろう。だから、言葉による普遍妥当性、ってつまり、多様な価値観に照らし合わせて導き出した結論、ということだろう、と二人で結論づけられた。この歳になれば、さすがにある程度は価値観の多様性に照らし合わせて、ものごとを考えられるようになっているが(要は、歳食った分で読んだ数が増えた書籍から得られたもの、歳食ったので増えた経験で得られたもの、と使って多様性を満たすことができる、ってことね)、それは歳を食ったから得られた能力。でも、ここで得られた示唆は、なにをしたら歳を食わずにそれを実現できるのか?という視点。


本を読もう。

いろいろな人と会話しよう。

特に「質」の深い会話のできる友人は貴重だ。


そうやって多様な価値観を経験して、それを主観として腑に落として、その主観というフィルターを通してものごとを考えれば、ずいぶんとましな客観性を示すことができるだろうな、と思ったわけ。


だから、本を読もう、いろいろな人と会話しよう。新しい関係性に飛び込んでいくのは、客観性を高めて、他人の立場に立った考えをできる限り充分なものとしていこう、と思いましたとさ。


なんてまた連々と書いてしまった。それでも、もしかして誰かの役に立つかもしれないと思いつつ。