あたりまえを積み重ねる

録画してあった「プロフェッショナル-仕事の流儀-」を観ました。パティシエは、お菓子を作るのに「当たり前のことを当たり前にやる」「一切手を抜かない」ことで、お客さんのために仕事をしていました。
当たり前とは、一見簡単そうですが、果たしてそうでしょうか?
当たり前とは何でしょう? 常識とは何でしょう? 果たして、万人が細部をきっちり仕上げていけるのでしょうか? 果たして、万人が同じことを知っているのでしょうか?
人によって当たり前、常識は違います。しかし、「何のため」にそれをするのか? 誰かのためにするのであれば、手を抜くのは失礼です。喜んでもらえません。プロフェッショナルとは、当たり前のことを、誰かを想いながら、着実に仕上げられる人のことをいうのかもしれません。
省みれば、自分は、細部に渡って常に仕上げられていたかどうかについて、疑わしいところが存分にあります。ただ、「考え抜く」こと、それが「何のため」のか常に意識しながら。これらを積み上げれば、プロに近づけるのではないかと思いました。
クリスマスが来ると毎年新作ケーキを創造するパティシエ。たくさんの引き出しから、様々な味の組み合わせを考え、どうしたらお客さんが「おいしい」と思ってもらえるかを実現する。
ラマチャンドランの本を読んでいると、シャーロックホームズが良く出てきます。ホームズはワトソンにこんな様なことをよく言います。「僕は人よりも良く観察しているだけだよ」と。新しい発想とは、良く観察し、いろいろなことを引き出しにしておき、必要なときに取り出して組み合わせる、そんなことから生まれるのではないかと思います。そして思いついたら、それを裏付けるために、「やってみる」。細部に渡って手を抜かず。
非常識を常識に。そして積み重ねるべきは当たり前。