MDSメモ

多次元尺度構成法(Multidimensional Scaling)が以前から理解できていなかったのだが、

http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~chino/part-time/handai.pdf

のp.7にある「以下の定義は高根(1980) による:」では、

MDS は対象間の(非)類似性の程度を示す測度が与えられたとき、対象を多次元空間内の点として表し、点間の距離が観測された(非)類似性と最も良く一致するように点の布置を定める方法である。

とある。何となく少し解ったぞ。

  1. 複数のサンプルを持つある観測事実があったとする
  2. これらサンプル間の相互の距離を並べた行列を作る
    1. この時点で、「近いものは近しい値を取り、遠いものは遠い値を取っている。が、それが隣接しているかどうかは定かではない」
  3. MDSは距離行列に対して、距離に応じた変形を行い、同程度の距離となっている組み合わせを集める。
    1. これはsortしているようなことか?
    2. 距離行列に対する固有値分解って何だ?

うーん。具体的な処理のイメージが掴めん…。

伊坂幸太郎「砂漠」

伊坂幸太郎は正直知らなかった。数日前に本屋でキャンペーンを張っている中から選んだ作家。帯で買ったようなもの。

他の作品に「重力ピエロ」もあると書かれている。これは映画館でトレーラーを観た気がしたので、調べてみると2009年に映画化されていた。他にも結構映画化されているとの情報をいただき、Wikipediaを調べてみると「ゴールデンスランバー」他、結構ある。今日、「アヒルと鴨のコインロッカー」を冨塚のBOOKOFFで探してみたが、あいにく無かった。

「砂漠」は“春”“夏”“秋”“冬”からなり、東北を舞台に学生の青春ストーリーを描いていく。それぞれに個性的なキャラクターが絡みあって話が進む。ビートの効いたテンポの良い展開とは思わないが、淡々としたリズムで話が刻まれていく印象。入学から卒業までを描く中で、変化していく個々の人物像がなかなか面白い。若干、話のテンポが自分の感覚に合わない印象は残るが…。

そのうち、映画化されたいくつかの話も観てみよう。念のため書いておくと、「砂漠」は映画化されているわけではない。

カケラ

「カケラ」という映画を観てきたのだが、理系な自分を痛感した。次の記事によると、

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100402/tnr1004021743012-n1.htm

アイデンティティーを探し求める若者を描く」というテーマだったようで、そう云われれば解らなくもない。ストーリー全般を通して、主題が明確に伝わってくる、という印象では無く(おそらくそこを「感じ取れない」のが自分が理系だと痛感する点)、散りばめられたテーマを「少しずつ少しずつバウムクーヘンのロールを剥がしていくように味わいなさい」という気がしてきた(まさに今^^;)。

文学作品からこういうモノを感じ取り、それをコトバに乗せていく、そういうセンスを磨いていけば文系的センスが分かってくるのかもしれない、と思ったわけで。従って、こういう映画をもっと観よう!と思った次第。(って、こういう要素分解的な発想そのものが理系な気もして、ちょっと暗い気持ち^^;)

ところで、この映画の監督の安藤モモ子さんは、奥田瑛二安藤和津の娘さんだそうな。

ほら貝

昨日は出張の際、小林理学研究所の音響科学博物館を見学(出張の本題はもちろん見学ではない)。ふるーい補聴器が展示してあり、写真を撮って良いということなので、記録してきた。

その時、案内してくれた方の話だと、「ほら貝でも20dBぐらいの増幅効果がある」とのことで、これら写真の補聴器って、ほら貝から着想したんだろうな、と思ってしまった。(笑)


本当は写真が4枚あるんだけど、何だかアップロードがうまくいかないよ。>はてなフォトライフ

関心と無関心

先日ちらりとTwitterには書いた、対話するには関心が必要である、と。関心の無い場合、そもそも対話に発展しない訳だが、それ故、対話するには関心が必要である。つまり、無関心であれば対話しない。
翻って、対話が成立していないことは無関心なのだろうか?
これは(一筋の誤りもなく云えるわけではないが)YESだと考えている。無関心な場合、対話に持ち込む必然性を感じないのは、少し考えてみれば自明だろう。つまり、ここには双対性を感じるわけで(論理的帰結となるまでは思考していないので「感じる」程度)、無関心が故に行動が伴わない←→行動が無関心を示す、ということが言えそう。
という訳で、少なくとも自分は周りに関心を以て行動し、その行動が関心を示すようにしていこう、と思う(決めた?)。

アイアンマン2

まーまー面白い、というところかと。

ストーリーとしては結構ありがちなところで、実はこんな裏があって、世代をまたいだ恨みが悪意となって降りかかる、てなところ。更にアークリアクターそのものがトニーを苦しめるが、これまた世代を超えた絆がそれを解決する鍵となる、てなありがちさ。とはいえ、それらは十分楽しめる作りになっていて、大きな驚きにはならないけれど、出来はいい。

アクションは前作を超えるかというと、火器が重くなる程度で、前作の「アイアンマンが出来上がっていく過程」を楽しめるほどのワクワク感には乏しいと思う。

ところどころに散りばめられているfunnyなシーンはいい感じで、こちらは前作と同質と感じた。

展開上の驚きといえば、秘書さんが実はそんな正体!ってのが良かった。「臭い」感じはしたけれど、そう繋がってきて、且つ重要な役どころで、アクションシーンは秀逸!カッコ良かった(^^)

エンドロールで帰った人もかなり居たようだけど、今回もエンドロール後に「つづく」のシーンがあり、行くなら最後まで観ていないとね。初めから三部作契約なのでもちろん「つづく」なんだけど、そこは予想して観ないと。